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Jan 26, 2007

阿部知子事件で再確認したこと

社民党に限らず、民主党や共産党にも似た傾向があるように思えるのですが、万年野党をやっていると、ついつい政府・与党のあら探しさえしていれば満足してしまう… そんなことはないでしょうか。そんなポジションに居続けると、自分たちで何かを立案して提唱するスキル、あるいは自らが危機に見舞われて守勢に立ったときの対応スキルが錆び付くんじゃないかと思います。

たとえば社民党、以前の「"ざまーみろっ" 事件」でも、「辻元秘書給与事件」でも、「拉致疑惑否定論文隠蔽事件」でも、そして今回の「阿部知子事件」でも、守勢に回ったときの対応が稚拙です。まるで、操典に攻撃の方法しか書いてなくて、防禦や撤退の方法をまるで訓練していなかった軍隊みたいです。

野党としての立場から与党のあら探しをして攻撃するだけの立場って、ある意味、楽だと思うんですよ。でも、それしかできない党に政権を任せたくはありません。それに、たまたま不幸なことにそれが実現してしまったタイミングで阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生してしまったのは、日本憲政史上有数の痛恨事なのかもしれません。

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Comments

 「政治は結果責任」とよく言われます。確かに政策(主張)がいくら立派でも、結果(責任)を伴わなければ評価されないでしょうし。端的には、万年野党の弱さはその覚悟のなさではないか、と考えます。
 まだ、共産党の場合は主張に一貫性があり、その思想はともあれ、意見として拝聴し、反映すべき部分もあるかと考えます。私個人は、共産党の「責任ある野党」という方向性だけは率直に評価しています。

 しかし、社民党にはどうもその姿勢、意識すらあるのかどうか、怪しいところで。
 自分たちでも物事を作り上げていく、その姿勢がなければ意味をなしませんし、社民党はそれを怠った結果、単なる「為にする批判」「憂さ晴らし」「無責任体質」を育てる結果となったのではないでしょうか。

 政治とは異なりますが、私の場合、電気を作り、送り届けることが仕事です。
 私たちの仕事のあり方に賛否両論あるのは十分承知していますが、この仕事を通じて間断なく常に広く公に役に立つことにより、それが結果として仕事に対するプライドと責任感、そして強さを涵養してくれることになったように思えます。
 残念ながら、ここのところ私たちの仕事の中で発生している不祥事は、その仕事に対する自負がいびつな形で現れてしまったものであり、猛省しているところ。
 しかし、これも「何があっても電力を一時も途絶えることなく供給すること」との強い責任感があればこそ、立て直しに向け耐えられる訳で。そうでなければ、とっくの昔に崩壊していたのではないかと考えています。

 「守る物・責任感」の有無、それが窮地に陥った際に耐えられるか否かを大きく左右するのでは、そう、私個人は考えています。

Posted by: へぼ担当 | Jan 27, 2007 at 04:18 PM

政党の場合、「責任感」とは国家に対する責任、ひいては国家を構成する国民に対する責任なのでしょうが、特に社民党の場合、どうも別のところに対する責任ばかりを重視していたように思えてなりません。こまりものです。

Posted by: 井上 | Jan 27, 2007 at 09:54 PM

>>へぼ担当さん

 電力方面のお仕事、お疲れさまです。電気あってのパソコンなので、これからもよろしくお願いします。さて、横resで失礼いたしますが。

>>共産党の場合は主張に一貫性があり

 今は「改憲反対、9条を守れ」とやっているこの党でも、現憲法成立直後は「9条反対!自衛権の放棄は民族の独立を危うくする」と主張してました。朝鮮戦争勃発で、時の自民党政府が「自衛隊(当時は警察予備隊ですか)は合憲」とすると、それに反対して「憲法違反の自衛隊は認められない」という態度を取るようになったのです。つまり「自衛権を放棄してもいいから憲法の方が大事」という姿勢に変化したのですね。

 その後、2004年の党大会で採択された現在の共産党の要項では、かつて「君主制の廃止」という表現で否定していた天皇について『天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである』としてその存在を容認し、「解散を要求」していた自衛隊についても『海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる』という回りくどい表現でその存在を容認しました。これすなわち共産党の変節といえるものでせう。

 こういう経緯に口をつぐんで「確かな野党」とか言われても、ワタシにしてみれば「確かに野党だよな、共産党は」としか思えないんですよね。まぁそれでも社民党に比べればブレ幅は少ないと思えますけど(笑)。

Posted by: KWAT | Jan 28, 2007 at 01:33 PM

状況に合わせて党の主張が変わってくること自体はともかく、問題は「誰のために」「どういった変化をしたか」ということなんじゃないでしょうか。

共産党の方針変更についていえば、「支持拡大のためには仕方なく」という本音が透けて見えるように思えるのですが… 社会党が、村山政権になった途端に「自衛隊容認」に転換、野党に戻ったらまた「自衛隊違憲」に逆噴射したのが典型例ですけれど。

Posted by: 井上 | Jan 28, 2007 at 03:10 PM

>方針変更
 井上さんのおっしゃるとおり、「誰のために」「どういった変化をしたか」が肝要でしょう。

身も蓋もない言い方をすれば、
共産党:支持獲得(つなぎ止め)のため、やむなく(の割には腰が重すぎるが)変更。教条主義的(これは共産党で変わることのないものですが)で説明責任は大いに疑問だが、最低限の筋は通す。
社民党(社会党):単なる節操なし以上のものは無し。場当たり主義の典型。期待するだけ無駄。
民主党:旧社会党議員を抱えているためか、旧社会党の悪い傾向あり。今後とも注意が必要。
でしょうか。
 ちなみに私自身は、共産党は暴力主義革命を完全に否定していないことから、各論及び姿勢では評価することはあるものの、支持はしません。
 以上、ご参考まで。

Posted by: へぼ担当 | Jan 28, 2007 at 08:17 PM

>暴力主義革命を完全に否定していない
まさに、これに尽きますね。平和がどうとかいっている割には、衣の下から鎧がチラチラします。

民主党の場合、なまじ頭数がいる分だけ「政権交代が現実的では」という思いが強くて、それが何事も「政権交代の連呼」や「与党叩き」に結びつけてしまう体質につながっているのではないかと思えます。

Posted by: 井上 | Jan 28, 2007 at 09:57 PM

>>暴力主義革命を完全に否定していない
>まさに、これに尽きますね。平和がどうとかいっている割には、衣の下から鎧がチラチラします。

共産党員が身内で居ますが・・・
普段は温厚で、非常に尊敬している人なんですが、
政治・歴史に絡むと突然、思考停止に陥ってしまい、暴力的な行動も辞さずという意見を振りかざしはじめてしまいます。
ただ、自分の意見を押し付けることだけはしないので、
会話が止まるだけなんですが。

「平和」を謳う者ほど、過激な言葉を口にする・・・
団塊世代は、概ねこんな感じですね。


Posted by: あるくびゅーず | Jan 29, 2007 at 04:26 PM

そうなってみると、逆に「何が彼らをそうさせるのか」というところに興味が沸いてきます。思考停止・意見の押し付け・手段を選ばずという三連コンボが普遍的に見られる背景には、なにがしかの理由があるはずなのですが。

Posted by: 井上 | Jan 29, 2007 at 06:53 PM

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