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Nov 18, 2009

誰が書いたか「鈍足」

石巻線・女川駅には、引退したキハ 40 519 が置かれていて、内部をお座敷に改装して、町営温泉「女川温泉ゆぽっぽ」利用者向けの休憩施設にしています。

IMG_1404

ところが、このキハ 40、よくよく見てみると、貫通路扉上の方向幕に、こんな表示が。

「鈍足」

IMG_1404B

確かに 40 系気動車といえば鈍足で有名ですけれど、誰ですか、こんなことを書いたのはw

その石巻線でも 40 系気動車が使われていますが、40 系にしてはえらく加速がいいなあ。と思ったら案の定、カミンズの DMF14HZ に機関換装していたようです。そりゃあ、ただでさえ鈍足なのに、さらに冷房まで追加したら走れなくなっちゃいますもんねえ (←大袈裟)

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Comments

キハ40オリジナルのDMF15HSじゃ、冷房付けたら坂上れなくなるので(多分15‰でウンとも言わなくなるかと)大げさって感じはしませんね。

上川駅を朝一で遠軽方面に出る鈍行は今のところ必ずキハ40なんですが、峠の実に優雅なこと(25km/h)、
確か熊ーに遭遇したのがこの列車(単行ですがw)に乗っているときだったような。

そんな北も、エンジン+変速機換装の1700番台はとっても軽やかです。自動変段になっちゃいましたが。

Posted by: ぼろねこ2k | Nov 18, 2009 at 10:50 PM

>鈍足  …いぢめ、かこわるい (笑

高校行き帰り、これに当ると確かに遅かったもんなぁ。労組のために?運転席が異様に広いんだとか、あまり良く言われることが無い車両ですよね (功績もあるんでしょうけど)。
でも朝夕は、山岳急行撤退の 165 系各停に当る幸せもありました (駅蕎麦持ち込んだりしてもう旅行気分)。平坦線をこれでもかとかっ飛ばしてくれていましたが、怖かったなぁ

Posted by: Charon | Nov 18, 2009 at 11:05 PM

キハ 40 の遅さを最初に実感したのは、新得から狩勝峠を登るときでしたか。エンジンがウンウン呻っているのにスピードが全然出なくて、しかもあそこの登りは距離が長いですし。その分、沿線の風景を楽しむことはできましたけれど。

実は、首都圏の人ならわざわざ遠出をしなくても、烏山線に行けば乗れますw

それと比べると、キハ E130 やキハ E120 の走りっぷりの良さといったら、もう。

Posted by: 井上@Kojii.net | Nov 18, 2009 at 11:59 PM

キハ40系が「鈍足」だなんて失礼ですよね。

あれは変速機が妙に高速向きなせいで出足が極端に鈍く、単独では勾配にも弱いだけなので、平坦で線形が良くて十分な加速距離が取れるのならば、DMH17系1エンジン車よりは速いです。

ただ、そういう路線が少なかっただけなんです。

Posted by: 砂兎 | Nov 19, 2009 at 05:30 PM

それなら路線状況に合ったモノを作る努力が必要で… なんていいだすと、喧嘩になっちゃうかも知れませんが。

ただ、国鉄時代のディーゼル エンジンが問題を多く抱えていたのは、否定できない話だと思うのでありました。技術的な話だけでなく、労使関係の問題なんかも絡んでいたと思われるにしても。

Posted by: 井上@Kojii.net | Nov 19, 2009 at 10:30 PM

キハ40系以外の1エンジンの「一般型気動車」がどれほどのものだったか?と言うと、起動加速以外はより鈍足だったわけで。

DML30系列のキハ66/67はトラブル続きだった上に、2エンジン車は今更という時代ですが、キハ40系列が量産されていた時代はキハ58が急行運用から大量に外れる時代でもあったわけですから2エンジン車が欲しければそれが使えたという事情もあったわけですし。

ていうか、あれでもDD51牽引の客車列車よりはマシだったんですし。

Posted by: 砂兎 | Nov 19, 2009 at 10:48 PM

思えば、キハ 60 がずっこけたのが、御難の始まりだったのかも知れないですねえ。唯一 "使える" DMH17 にしても、5 分間以上の全力運転ができない制限付きというシロモノでしたし。

Posted by: 井上@Kojii.net | Nov 19, 2009 at 10:52 PM

そのキハ60の失敗の後に開発された連続定格300ps/1600rpmのDMF15HZAが搭載できていれば「鈍足」とは言われなかったはずなんですよねぇ。

Posted by: 砂兎 | Nov 19, 2009 at 11:52 PM

ふと、戦時中に航空機の大出力エンジン開発で泣きが入った話を連想して「戦中戦後、大出力エンジンの開発は鬼門だったんだろうか」なんてことを寝床の中で考えてしまいましたが、これは単なる偶然でしょう。

DML30 も DMF15 も、最後は直噴化・I/C 付きターボ化で面目を保ちましたけれど、そこに行き着くまでが茨の道。エンジン開発は経験とノウハウと執念が必須だなあと思いました。

Posted by: 井上@Kojii.net | Nov 20, 2009 at 09:18 AM

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