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アスキーさんの「蘇るPC-9801伝説 永久保存版 第 2 弾」で、うちの秘蔵コレクションから一部を選んで、私が書いた原稿付きで公開することになりました。といっても PC-9801 のハードウェアじゃないんですが、「よくもまあ、こんなモノを後生大事に抱え込んでるな」という感じではあります。(ちなみに、PC-9800 シリーズ以外でもいろいろ抱え込んでるのは秘密です)
パソ通や PC-9801 全盛の時代って、今から比べると信じられないぐらい不便なことも多かったけれど、なんだか訳の分からない「熱気」や「夢」みたいなものがあったかもなあ、と思ったりもします。はい。
Comments
PC9801・・・
懐かしいです。あの頃は不便な中に便利を求めて試行錯誤していました。
あの頃が一番楽しい時代だった気がします。
高くて買えなくて憧れの機種でしたし。
中古で買ったUV21が我が初の98機でした。
以後、エプソン(互換機)に浮気しながらも長年98機を愛機にしてきた訳ですが一昨年98MATE-NXを手放してついに98と銘打たれたPCから離れました。
・・・Lavie欲しいですが・・・w
Posted by: にゃんこ | Mar 14, 2007 08:18 AM
うちにも、まだ 5in フロッピーの 98 用アプリがいろいろ残っています。どこかの中古屋で、ちゃんと動く 98 を見つけたら、勢いで買っちゃうかもしれません。
でも、98 用の DOS コマンドをかなり忘れているのではないか、と不安だったりしますが (汗)
Posted by: 井上 | Mar 14, 2007 02:49 PM
98用のソフトで人目に触れないTSRにIsurrender.exe(comだっかな)って名前のがあって、歌のことならいいけど、製作者の心情なのかなぁと、ちょっと気になったことがあった(^_^;)
Posted by: AL | Mar 14, 2007 03:14 PM
>歌のこと
うわー懐かしいです。確か、私は中学生だったか高校生だったか… ところで、思い出せなくて苦吟しているのですが、誰の歌でしたっけ (爆)
そういえば、小川町のヴィクトリアで店内 BGM に釈迦拓、もといシャカタクの「Night Birds」を流していたことがあって、ビックリしました。いったい誰の趣味で (^^;
Posted by: 井上 | Mar 14, 2007 04:14 PM
レインボーの曲ですよ。
NECみたいな堅そうな企業の開発者でもこういうことしてた時代でした。
世代的にそういうの好きだった人たちが選曲の権限を持っているのか、スキーブーム再びと狙うとその辺りがターゲットなのかも>釈迦宅(…どこだよ^^;)
Posted by: AL | Mar 14, 2007 06:58 PM
それ、それです ! < レインボー
ひょっとするとどこかで既出だったかもしれませんが、98 版 Windows 3.0 のβ版にだけついていた壁紙がありました。NEC スーパータワー (三田にある本社ビル) がロケットになって飛んでいく、まさにぶっ飛んだ図柄です。幹部の逆鱗に触れたせいなのか何なのか、製品版には入っておりません。
Posted by: 井上 | Mar 14, 2007 08:03 PM
98…
何で惹かれるんだろう…
ソフトなんて1本もないのに…
Win95世代なんで、「コンフィグいじる」ってなに?
「ATOK組み込んだ」ってどうやったの?なんて有様なのに・・・
それはともかく、
工場じゃまだ現役だったりするんですけどね。
うちの部署にもありますよ。
9801EXなんてレア物が(^^
それも増設の3.5インチ付けて。
Posted by: だよもん星人 | Mar 14, 2007 08:21 PM
そういえば、MS-DOS 時代の IME (当時の言い方なら FEP)って、今だったらオプション設定ダイアログで指定するようなことを、よく CONFIG.SYS の DEVICE= 指定と一緒にオプション指定してましたね。ユーザー辞書の場所とか。
PC-9801EX というと、私が初めて買った PC であるところの PC-9801RX2 とは、生き別れの兄弟機ですね。うちに、どちらもカタログがありますよ。
Posted by: 井上 | Mar 14, 2007 09:12 PM
PC-9801・・・何もかも懐かしい。(゚ー゚)トオイメ
1987年の秋に、とある非合法手段でタダで入手したVX21を1998年の秋までずぅ~っと使ってましたよ。その間、3.5inFDDを増設、CPUを386SXに換装、EMSメモリを2MB搭載、ハードディスクは20MB→40MB→130MBと増やしていったり、とけっこうな額を投資しました(笑)。FEPを逃がすUSBの番地をCONFIG.SYS内で直接指定するなどして、起動時のフリーメモリを最終的に604KBにまで増やしたりとか、まーいろいろ楽しませてもらいましたよ。
当時はNECの子会社にいたんですが、所属してた営業部の中で98とMS-DOSが判るのがワタシ一人だったもんで(主にN5200を扱ってた部署だったんですわ)、同僚が売った98のメンテにSEの顔してくっついていったりして便利にこき使われたのもいい思い出です(笑)。
Posted by: KWAT | Mar 15, 2007 01:50 AM
↑事故res。×USB→○UMB
もう用語も忘れてるなぁ。orz
あーそうだ、MIDIもやったっけ。ヤマハの「ミュージ郎」ってやつ。
Posted by: KWAT | Mar 15, 2007 01:55 AM
昔は CONFIG.SYS を書くのも楽しかったですよねえ。
私は会社でメモリ食いの LAN Manager クライアントと格闘していましたが、640KB しかないのに NetBEUI と TCP/IP を両方突っ込んで、それでも 470KB ぐらいの空きを確保していた記憶があります。
昔は 20MB とか 40MB の HDD がものすごく広大に見えたものですが、今では動画ファイルひとつで使い尽くしてしまいます (笑)。うちでは、書籍原稿の Word 文書が 20-30MB あるのは普通ですし。
Posted by: 井上 | Mar 15, 2007 12:21 PM
なつかしいですね. 家のどこかにVXがアルと思うのですが,どこにしまったか忘れましたね.
よく 98無印 E/F/Mなどと駅名のごとく暗唱していました.
ところで,エプの286ロム無しとかエプソンチェックとかPC-100とかも如何でしょうか? この手のネタはいくらでも話せて楽しいです.
Posted by: ご近所走り | Mar 15, 2007 12:45 PM
PC-286 の ROM なしって、ROM-BASIC の著作権問題に引っかかって撤去したとかいうやつでしたっけ。そのN88-BASIC(98) からして、ROM 版と MS-DOS 版があって、それぞれファイルシステムに互換性がなくて訳わかめでしたが。
うちでは EPSON の PC-386 NOTE WR を使っていた時期があるので、NEC 版 MS-DOS のプロテクト外しは経験しました。WR は結構な名機だったと思います。
EPSON というと忘れられないのが、セカンドソースの高速版 286 を搭載した PC-286VX ですね。仮想 86 モードの EMS ドライバなんて伏兵が出たせいで、いっぺんに存在価値が怪しくなってしまいましたが。
Posted by: 井上 | Mar 15, 2007 01:55 PM
そうです.著作権に抵触してBasic部分だけ外した286STDモデル0です.発売直前に外したのか.一部発売してからクレームがついて外したのか?記憶が薄れておりまして誰か知りませんか?
自分は386NAR-非純正コプロ付きも家にあります.捨てた覚えは無いのですがどこにいったか分かりません.わざわざEPSON版MS-DOSを買ったのが思い出です.
その手の話が出来るのも35歳以上からですかねぇ.
Posted by: ご近所走り | Mar 15, 2007 02:48 PM
PC286STD Model0、まだ持ってます(^_^;) BIOSそのものにクレームが付いて、差し替えてModel 0としてリリースしたことになっていたのでは(どうも鮮明に思い出せるほど大昔ではない領域に記録されているらしくあやふやです)。ROM BASICはなくて、ディスクを入れるようにメッセージが出るようになっていました。なぜか98のシステムROMに起因するバグが再現できたりして巧くできていました(ん?^^;)。BIOSにパッチが当てられるように隠しRAMがあって、たった64KBのRAMディスクとして活用していました。
Posted by: AL | Mar 15, 2007 05:56 PM
ということは、うちの「Multiplan 4.1」や「松 V5」や「大戦略 III」を動作させられそうですね。3.5in FDD があれば「HARPOON」も (をひ)
コプロといえば、東芝の J-3100 では「高速演算プロセッサ」と呼んでいたのを思い出します。
Posted by: 井上 | Mar 15, 2007 07:15 PM
私はCPUとMPUの違いが分かりませんでした.(><);(遠い目)
コプロというよりFPUというほうが正しいでしょうか? 今は亡きサイリックスのものを付けてました.しかし今の物は何にせよ(CPUやBUSやHDDなど)本当にパワーがありますね.
エプの286は鍵付きなのがうらやましかったですね.
Posted by: ご近所走り | Mar 15, 2007 08:08 PM
そうそう、あの「鍵付き」は EPSON のアイデンティティだったのに、いつの間にか止めてしまいましたね。
コプロというと思い出すのが 486SX のコプロ・487SX。実は中身は 486DX で、これを付けるとメインの 486SX は無効化されるという、まさにコプロにあらざるコプロ。拙宅の PC-H98 model 90 (死亡中) についてます。
Posted by: 井上 | Mar 16, 2007 12:04 AM
なんと、すっかり出遅れて仕舞いましたが、此で迷っていた第2弾を購入する理由が出来ました。
久しぶりに、VM21にでも火を入れて見ようかな。
秘蔵(?)の8"ドライブなんかも、ガーガー言わせたく成って来たし………。
Posted by: Thori-Tung | Mar 16, 2007 07:46 AM
見本誌が手元に届きました。
158 ページからの「当時のパンフで振り返る PC-9801 小辞典」という記事です。
RC-9801 のカタログを未だに所持している私って、相当な基地外だと思います (爆)
Posted by: 井上 | Mar 16, 2007 08:17 PM
すばらしいですねぇ.
小坊そして中坊だったので買うことは無理でしたから自分もカタログ収集?はしましたが ある時まとめて処分してしまいました.いま思えば貴重な資料でした.H98/98/88/80/i66/60/100など.NEC以外もいっぱいありましたね.しかし9821からは足を洗いましたけどね.
そうそう発売日には買いに行きますね.この手のシリーズは大好きですね.ちょっと懐古趣味ですが.
(つい調子に乗ってレスしてますが,ご迷惑ではないでしょうか?)
Posted by: ご近所走り | Mar 16, 2007 09:53 PM
いえいえ、こうやって昔話で盛り上がれるのは楽しいです♪
うちにある中でも最高にイッちゃってるのは、「ヤマハ YIS コンピュータのパンフ」だと思います。なんと高校生のときから延々と所持し続けています。オプションに VHD プレーヤーがあったりして笑えます。
Posted by: 井上 | Mar 16, 2007 10:50 PM
パンフ類と言うのは、余り場所を取らなくて良いですねぇ。
我が家には、ビジネス誌に変身を遂げる前のASCIIが創刊号から揃って居て、其の重みで床が抜けそうだし、PC-98シリーズも現物保存だから、其れなりに場所を取るし………。
Posted by: Thori-Tung | Mar 16, 2007 11:59 PM
ありがとうございます.仲間は皆 仕事などで全国に散ってなかなか古い話が出来ないので楽しくて.
YISといえば音楽コンピュータ+MSXとの触れ込みでしたね.性能が良く欲しかったです.MIDIがつなげた記憶が有るのですが...お金の関係で東芝のPASOPIA IQ(MSX)になりましたけど...
アスキーを創刊号からですか.すごいですねぇ.読み返したいですねぇ.私は読み始めたのは小坊の頃からですから たぶん1980年頃からですね.小坊のこずかいでは買えませんでしたから立ち読みして, 中坊になってから毎月買っていました.初期はハードの記事が多くてROMライターの自作とかワンチップマイコンの解説とか, だんだん記事が"CoreWars"とかプログラミングテクニカルにシフトしたのを覚えています..記事が商品の紹介にシフトしてパターン化したのを機会に買うのをやめてしまいました.かれこれ16年程前の話です.
Posted by: ご近所走り | Mar 17, 2007 08:35 AM
YISのYは当然としてISとは統合システムの略で、価格的にも一般的な枠を超えた製品でして、MSX仕様の方は其の後継機です。
http://www.avc-hakase.com/01HP/2-t/b02.html
Posted by: Thori-Tung | Mar 17, 2007 09:45 AM
なんというかこう、時代に先駈けすぎた人がいたのですね… でも、こういう先人の苦労があったからこそ、今があるのだと思いたいです。
実は、元祖 YIS だけじゃなくて、MSX の CX5 もカタログがどこかにあったような気がします。大昔のローランドやヤマハのキーボードについても、いろいろ揃っていたりして (笑)
ところで、創刊号からの月刊アスキーを全部合計すると、いったい何トンぐらいになるのでしょうか。
Posted by: 井上 | Mar 17, 2007 11:02 AM
YISは統合システムだったんですね. 勉強不足でした.m(__)m.しかし,あの時代にあの考え方は大変すばらしいですね. 考えた方は(チーム)はその後は何をなさってたんでしょうかね.誰か知りませんか?...お会いしてみたいものです.しかし,パソコン道は奥が深い.
話が飛びますが,カタログと言うと木村親子,タモリさん,斉藤由貴さん,武田鉄矢さん,松田聖子さん,岡田有紀子さんなど出ておられましたね. キャッチフレーズもとてもユニークで楽しかった思いでがあります.
Posted by: ご近所走り | Mar 17, 2007 12:33 PM
同誌'82/03号の80~85Pには、『YIS誕生』と言う特別読物が載ってますが、仕掛け人はオーディオ界に燦然と輝く名機、B-1の開発に携わった人だったんですね。
なお、いわゆる無印の登場は同年12月号の84~85Pですが、此処までの分は合本(エンサイクロペディア・アスキーとして、重量を節約して有ります。
と言う訳で、未だに総重量を測った事は有りませんが、恐らく此のクルマよりは軽いでしょう。
http://www.eng.niigata-u.ac.jp/~mecha/subwindow/event/19990127-1.html
P.S.
ゲーム専用マシンとしては必須(?)の3.5"2ドラ機種辺りなら進呈も可能かと思いますが、最近Ardeurには御無沙汰なのでしょうか………。
Posted by: Thori-Tung | Mar 17, 2007 01:12 PM
>カタログ
リンドバーグが出ていた EPSON PC Club とか、椎名誠が出ていた EPSON PC One とか、鈴木亜久里が出ていた元祖 Dynabook とか…
>Ardeur
冬場はスキーに全力投球で、甘いものは御無沙汰している今日この頃です (凹)。ちなみに、ホテル安比グランドの「サッサリ」で出している苺エクレアは、なかなかよいです。
Posted by: 井上 | Mar 17, 2007 01:28 PM
アラン・ケイも真っ青のダイナ本のモノクロ画面に出て居たのは、言わずと知れた鈴鹿サーキットのコースでしたねぇ。
ところで、無名時代(中学生)の猫目少女ミポリンが引っ詰め髪で出ていた、SCOTCHのポスターとかは有りません?
Posted by: Thori-Tung | Mar 17, 2007 06:10 PM
そうそう、それもデグナーを改修する前の鈴鹿です。
SCOTCH は残念ながらありませんが、鈴木保奈美が出ている東京証券のポスターなら何枚かあります。
Posted by: 井上 | Mar 17, 2007 09:54 PM
川合じゃぁ無かった川井ちゃんは可哀想でしたが、嘗てはマンションからのゴミ出し姿を目撃した、とか言う幸せな人も居りました。
さて、ASCII誌中のハイライトと言えば、八重歯が目立つ小林麻美嬢と、若き日のスマートなゲイツ君との2ショット姿………。
Posted by: Thori-Tung | Mar 18, 2007 06:51 AM
BillG もそうですけど、古川さんも、若い頃 ('89 ぐらい) の写真を見ると別人みたいです。
Posted by: 井上 | Mar 18, 2007 12:59 PM
彼のブログに或る、戸坂馨氏とのエピソードには、思わずホロリとさせられますね。
Posted by: Thori-Tung | Mar 18, 2007 03:34 PM
昔は、いろいろな意味で味のあるサムライが多かったなあ… なんて書いてしまうのは、私もトシを取った証拠でございます。はい。
Posted by: 井上 | Mar 19, 2007 12:59 AM
或いは与太話に呆れられたのか、ご近所走りさんが行方不明ですが、もし未だご覧に成って居られるのなら、「パソコン創世記」+「富田倫生」でググって見て下さい。
お好みで、電子ブック版とテキスト版が有りますが、週刊PB誌にまで解説記事が採り上げられたTK-80を嚆矢とする、我が国の先達達の熱いノン・フィクションが読めますよ………。
Posted by: Thori-Tung | Mar 19, 2007 06:10 AM
楽しく見てますよ(笑)
人物関係は弱くて...なにせ小坊〜中坊の時期だったので機械の方ばかりみてました(--); TK-80が発売された時, 小学一年生でしたから(年がばれた).7年後に中学校で本物を見ました. なぜ技術の先生が持っていたのだろうかいまだに疑問ですが 本物を見れたうれしさがいまだに強く記憶に残ってます.
Posted by: ご近所走り | Mar 19, 2007 06:59 AM
当時のBitINNに漂って居たのは、熱気と言うよりはむしろ『妖気』に近いモノでしたね。
http://www.necel.com/ja/fow/print/08.html
Posted by: Thori-Tung | Mar 19, 2007 08:08 AM
>TK-80
大学のときに、これだったか、これに類するワンボードマイコン (死語) だったかで、ステッピングモーターを制御する実習がありました。
なんと、プログラムをいきなりアセンブラで書かせるという無謀な授業で、私が書いたソースコードが (動作検証もロクにやってないのに) クラス中にコピーされて出回った、なんて逸話があります。
Posted by: 井上 | Mar 19, 2007 11:09 AM
Thori-Tungさん ありがとうございます.パソコン創世記はテキストでゆっくり読んでみたいと思います.楽しみです.
BitINNの思い出は,μpd765A(FDDコントローラ)のマニュアルを探していたとき,相談したらただでわけてくださった思い出があります.カタログも良くもらいに行きました.
それと,いきなりアセンブラはきついですね. しかもスッテピンモーターとは教授もナイスですね.ハードを知らずしてアセンブラは無理ですからね.よくCPUやDMAコントローラとかその他チップのマニュアルを読みました.今の職業プログラマはハードに関する知識が少ない気がしますね.アマチュアの方が良く勉強している気がしますがいかがでしょうか?
Posted by: ご近所走り | Mar 19, 2007 12:02 PM
>ハードに関する知識
最近では、アプリケーションからハードを直接叩くのを良しとしないで、間にいろいろとレイヤーを挟む傾向が強まっていることと、関係があるのかもしれませんね。
Posted by: 井上 | Mar 19, 2007 02:49 PM