何も足さない、何も引かない
「マスゴミ」と呼ばれ続けて (IT Pro)
基本的には「ちゃんと分かってるじゃないの」という記事ではあるのですが、ひとつ、肝心な話が抜けていると思います。
それは、「マスコミが往々にして、報道にかこつけて思想の押し売りをやっている」という点。記事の中で出てくる「友人の発言」にある「事実だけ伝えていればいいんだよ」は、そこのところを突いたものだと思うのですが。
一次情報を取ってくるには、それ相応の取材力が必要で、それは「市民記者」にはなかなかマネのできない話。そういうところで報道を専門に扱う組織は必要で、そのことまで否定はしません。
ただし、拾ってきた情報を伝える際にバイアスがかかって特定の情報を落としたり、記者個人、あるいは社としての主張を広める手段として記事を利用したりする、という手法への反感があるのだという認識が欲しかったところ。掲載する記事の取捨選択や、見出しの付け方なんかにも関わってくる話ですけれど。
ウイスキーの CM じゃないけれども、これからの報道機関には「何も足さない、何も引かない」という姿勢が求められるんじゃないですかネ。変な小細工を弄すると、たちまちバレて突っ込まれる時代だから。
そういえば、別件になりますけれど、こんな指摘もありましたっけ。
「空気を読め」を批判するマスコミも「空気を読んで」報道していること。(あかさたなの執行実験場)
Comments
とはいえ事件に接した者がその件を言語化した時点で何かを足し何かを引いている件(認識論風味)。
>変な小細工を弄すると
「今やアフガニスタンでは世界の阿片の**%が生産され」と書くか「ヘルマンドでは(略」と書くか「タリバンが勢力を振るうヘルマンドでは(略」と書くか…というレベルの小細工くらいはしてほしいところです。
Posted by: teiresias | Sep 01, 2008 05:44 PM
>アフガニスタン
それはいいと思うんですよ。あくまで「事実」だから。
ただ、そこに余計な解釈とか予想とか願望とか、あるいは事情通とやらのコメントとか、そういったものをくっつけて、読者の思考を特定の方向に引っ張ろうとするのは止めてくれい、ということなのです。はい。
Posted by: 井上 | Sep 01, 2008 07:09 PM
友人のググレカス発言~リンク集の返信が期待から出たものだというのは記者の一方的な印象であって、「事実だけ伝えろ」という言葉の逆をいってますよね(笑)。実在するのかわかりませんが、友人なんていう恵まれた一次情報元にさえ、真意を問う取材ができないようでは…(^_^;)
Posted by: AL | Sep 01, 2008 08:45 PM
まさにその「余計な解釈とか願望とか」を地でいっているという。
なんかこう、問題点の指摘を聞き入れているようでいて、そこはかとなく自己弁護を感じてしまうわけですが。
たとえば、「内輪に甘い」に対する反証で「毎日.jp」の記事にリンクしてますけれど、その、たったひとつの記事だけで「甘くない」と主張されても (苦笑)
Posted by: 井上 | Sep 01, 2008 09:17 PM
記事中で、友人たちのマスコミに対する指摘が五項目にまとめられています。このうち、「事実とズレのある自己満足の報道が散見される」がご指摘の、バイアスのかかった報道を指しているのではないかと思います。
しかし記事中では、この指摘に対してはほとんど触れられていません。「事実だけ報道していればいい」との指摘に不快感を感じたというエピソードが紹介され、ダブルスタンダードに陥らないよう、公平な視点で事実の報道に心がけるべき、とまとめられています。
どうも問題点の把握がすれ違っているように思えます。技術系専門メディアの方なので、結論ありきで「事実」を取捨選択する手法への実感がないのかもしれません。
Posted by: aquila | Sep 01, 2008 11:38 PM
まあ記者さんたちは可哀想なのだと私は思うのです。碌々勉強する暇も調査する暇もなくとにかく目の前の数分後数時間後の締め切りにとにかく文字数を埋めなきゃいけない日々の中では,既に当人の頭の中にある思考的枠組みを変化させる事もなく使い倒す他ない。
極論すればヘルマンドやそこの支配者に意識を向けることができないひとなら,「(アメリカがアフガン攻めた->)アフガンが麻薬栽培のメッカになった(->あめりかわるい)」になっちゃうわけで(一応特定の個人をさしているわけではない。一応。)。
認識する事,それを言語に表現する事・文章にすること,その辺りからして既に公平ではなかったりするし,多くの場合短評くらいはつけるはずで(字を埋めなければならない!)…「事実」の組み合わせで既に問題があり,短評つけるとなるともう収拾がつかない。
…結局話題になってる記者さんは,問題点を指摘されながらも,真剣な反省には至らなかった様子。折角の機会だったのに,スルーする格好にならざるをえないのは,これは彼らが忙しすぎることも一因なんだろうなとも思う次第。
Posted by: teiresias | Sep 02, 2008 12:07 AM
>バイアスのかかった報道を指しているのではないかと
>思います。
あ、確かにそうですね。いわれてみれば、「バイアス」と「俺が世論を作るんだという意識」は紙一重というか、コインの両側ですし。
そもそも「公平な視点で~」という落としどころに行ってしまっていること自体、よく新聞社なんかが掲げる「不偏不党」といった言葉の呪縛じゃないかと思うわけです。
「俺は中立公正だ」という奴がいちばん信用できない、といいきっちゃうと過激ですけれど、どうせバイアスのかかった記事を流すなら、旗幟というか立ち位置を明確にした上でやってくれれば、却って叩かれないと思うのですが。
>忙しすぎる
勉強する時間、なさそうですもんねえ…
昔、日本の新聞社では「専門記者」が軽んじられて、「殺しでもノーベル賞でも書ける記者」が偉いという風潮があったそうですが、今はどうなんでしょうか。
あと、やっぱり "空気を読みすぎて" 読者に喜ばれる記事、読者が歓迎しそうな記事を書こう、という意識が出過ぎるとか。
Posted by: 井上 | Sep 02, 2008 12:27 AM
そういえば。
AOL 株の下落問題やストリートビューの一件あたりがきっかけになったのか、最近、「そろそろ Google については "叩き" モードに転じてもいいんじゃね ?」という空気を感じることがありますが、さて、これからどういうことになるでしょうか。
Posted by: 井上 | Sep 02, 2008 12:48 AM
テクノバーンは・・・(以下略
Posted by: にゃんこ | Sep 02, 2008 11:55 AM
事実の報道もいいのですが、物事の本質を捉えてそこにメスを入れて欲しいです。
例えば少し前にあった車の水没事件。マスコミは一斉に救助しに行かなかった119番を書きたて「通報を受けた奴が助けに行かなかったのが悪い」という世論を作りだしたかと思います。
確かに救助のミスがあったのは事実ですが、そもそもの話、「何で冠水に突っ込む?」「水没した車から何で脱出できない?」などの疑問が湧きます。
お亡くなりになられた方の責任を問うような報道は報道側への反論に繋がるのでし難いのだとは思いますが、視聴者に冠水するような場所を再確認するような呼びかけや、水没した車からの脱出方法の紹介など、生きていく上で役に立つ情報をもっと流して欲しいと感じました。
Posted by: Tivonix | Sep 02, 2008 12:04 PM
そのへんがやっぱり、「真実を伝えること」「本質を伝えること」よりも「読者に喜ばれること」を重視してしまっていることの弊害かなと思うのです。つい、ウケ狙いを優先して誤報してしまうテクノバーンにもいえることですけれど。
とはいえ、商売でやっている以上は部数や視聴率が出ることも重要で、突き詰めると我々・受け手の責任になる部分もあるのかもしれませんね。
Posted by: 井上 | Sep 02, 2008 12:44 PM
> 「殺しでもノーベル賞でも書ける記者」が偉いという風潮があったそうですが
好意に解釈すれば
「下世話なネタでも、高度な専門性が求められる分野も、それぞれカバーできるような広く深い教養が記者には求められるのだ」
ということでしょうか。 逆に、悪く解釈すれば
「どんなネタでも読者(視聴者)の興味を惹き付けるような記事を書くのが良い記者だ」
となりそうですね。 現実的にはこちらじゃないかなと思いますが。(笑)
Posted by: H@tokara | Sep 02, 2008 05:51 PM
もっと意地の悪い見方をすると、「分野別に専門記者を雇えるほどカネがない」→「何でも書ける記者が偉いってことにしちゃえ」とか (マテ)
「専門馬鹿にならないように」というあたりだと思うんですけれど。常識的に考えると。
Posted by: 井上 | Sep 02, 2008 08:28 PM
自前でなくても、軍と鉄とソースカツ丼は井上さんだとか、「これはあの人が詳しい」ポインタをたくさん持ってれば良いのでしょうが、聞いた相手がググれだのリンクを返してきて終わりでは淋しいですねぇ。
山中に放置で騒ぎになった人形がオリエントさんなのか、里帰りさせられないメーカー製なのか、そこまで詳しくしなくてもいいけど、「なんで人形を見間違う、警察よ」とか、現場の人がかわいそうでしたね。秋葉でビル内の角を曲がったとたん目があってビビったわ1/1ドール(^_^;)
Posted by: AL | Sep 02, 2008 09:12 PM
そうそう。記者ひとりで全部カバーするのは無理だから、情報源を持っていて有効活用できれば、それなりに解決できるはずなんですよね。
ただ、今のマスコミで問題だと思うのは、先に結論というか方向性を決めちゃってから、それに合うような「(専門家 | 有識者) のコメント」を引っ張ってきている気配があること。それじゃ意味がありません。
Posted by: 井上 | Sep 02, 2008 10:54 PM
よくマスコミが謳う「中立公正」にしても、そもそも「中立」とか「中道」っていう概念自体、絶対的な立ち位置じゃなくて相対的なものですから、状況によっていくらでも中身が変わるものですし。
どのマスコミにも何かしらのバイアスが掛かっていることを前提に、複数のメディアを読み比べてクロスチェックをするのが求められる時代になってきているということでしょうかね。
一般人が生業のついでにやるのには時間的にもコスト的にも酷なような。。。
Posted by: kamo | Sep 02, 2008 11:06 PM
それでも、インターネットの利用が普及してポータルサイトにいろいろなところからニュースが集まるようになって以来、比較が少しは楽になったと思います。
「俺が中立だ」という奴ほど偏向している、というのは案外と正鵠を射てるかも…
そういえば、バーニー・エクレストンが「大声で叫ぶほど、話を聞いてもらえなくなる」という意味のことをいっていたそうで、これもなかなか含蓄があります。
Posted by: 井上 | Sep 03, 2008 12:06 AM
夏風邪でのどが苦しい...ということで本日お休み。
私個人のつたないmixi日記(公開範囲:友人の友人まで;マイミク申請歓迎します)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=921362352&owner_id=226444
の方で参照先として紹介させていただきましたが、私の言いたいことは追加分含め、皆さんが既に指摘されていますので繰り返しません。
ただ、個人的に考えているのは
「新聞記事(マスコミ報道)や街頭演説などの大きさ(文字や音声など)はその内容のデマゴーグに比例。かつ信憑性・自信のなさに反比例するため、それが大きい物ほどそのまま受け取ってはならず警戒を要する。」
ということでしょうか。選挙の「お願いします!」の絶叫は典型例であり、誰も見向きもしませんが、それと同じ事が言えるのではないか、と考えるのです。
今までは情報発信する側の論理が優先されてきましたが、今後は情報を受信する側に立った行動が要求される物だと考えますし、自身もそうあるべきと自戒するところです。
Posted by: へぼ担当 | Sep 03, 2008 09:29 AM
ちょっと脱線しますけれど。
自分が信じていること、主張したいことが世間に広く受け入れられていないと感じたときに、大声を上げてしまったり、あるいは怨念丸出しの文章を書いてしまったりすると、却って印象が悪くなるものかも知れませんね。
最近読んだ本の中にそういうのがあって、読後感がすごく悪かったんです。内容そのものはよく調べてあっていい本だと思ったのに、書き手の怨念がにじみ出ている感じがしたのが、すごく嫌でした。
Posted by: 井上 | Sep 03, 2008 10:48 AM
あ。それ分からんでもない。
時々見かけるんだけど、議員さんの意見に対して同調しなかったり、逆に反論したりすると「あんた馬鹿ですか?」と小馬鹿にした言葉と表情を見せる某民主党議員の人とか。でも、同じ事を言われてもTV界の大御所には絶対にそんな事を言わないんだよね。ぶっちゃけみのもんたの人とかだけど(苦笑)。言ってることは正しいのかもしれないけど、そういう余裕のなさに益々説得力を失っちゃうみたいな感じ。
Posted by: あっさむ。 | Sep 03, 2008 09:29 PM
そういう陰日向のある態度って、なんか嫌ですねえ。
そういう人に国政を任せたくないなあ。
Posted by: 井上 | Sep 03, 2008 10:57 PM