急勾配がよく分かる写真。
機関車の歯車が支障しないように、変わった構造の分岐器になってます。 碓氷峠もこうだったのかな ?
いわゆる奥大井レインボーブリッジ。この先が奥大井湖上駅。
接岨湖の向こう側にある旧線跡。この右手には鉄橋が、左手奥にはトンネルのポータルが見えます。満水になると水没。
この建物は待合室… ではなくて、クマが出たときの避難所みたい。
(((( ;゚Д゚))))ガクガクブルブル
関の沢鉄橋。井川線に来てこれを通らないのは、日光を見ないで結構というようなものです。工事中で、ちと眺めが悪いですが。
井川駅。狭隘な割には編成長があるので大変そう。推進運転にする前は、入換も必要だったはずだし…
続きます。
Comments
碓氷峠の場合はラック位置が高く車両のピニオンがレールに支障しないため、分岐器は通常構造だったようです。
その代わり台車側の構造がラックに支障する場合があるため、キハ 57・キロ 27 が登場することに。
Posted by: なりたまさひろ | Jul 05, 2009 12:46 PM
そういえば… と思って「鉄道ファン」の 1961 年 10 月号を引っ張り出したら、ラック時代の写真が載ってました。
見ると、ラックレールの頂部が左右のレールより上まで飛び出してますね。しかもここ、よくよく考えると第三軌条式だったんですよねえ。
Posted by: 井上@Kojii.net | Jul 05, 2009 12:51 PM
しかも横軽では、日本で唯一、第三軌条の下面に集電靴が接触する方式だったという。
更には、ピニオンをラックに噛ませてブレーキを掛ける、歯車緩急車「ピフ」なんてのもあったんですねぇ。
Posted by: なりたまさひろ | Jul 05, 2009 01:29 PM
そういえば、どこの駅だったか (アプトいちしろだったような) ラックレールを線路脇に積んであったのですが、写真を撮り損ないました。大失敗であります。
アプトいちしろで、クラの前にあった「謎の構造物」は、ED90 の車体をジャッキアップして外す設備だろうと当たりをつけたのですけれど。
Posted by: 井上@Kojii.net | Jul 05, 2009 01:40 PM