岩沼駅の構内配線
国内でも早い時期から 20 番分岐器を導入していたのが、東北本線と常磐線が合流する岩沼駅。昨年、現地を訪ねてみたのですが、東北本線が分岐側になっていて、そこに 20 番を使うことで通過時の制限速度 70km/h を確保しています。
上の図では、青色が東北本線の下り、赤色が東北本線の上りに対応します。できた順番からすると東北本線が先。それなのに、東北本線が仙台方で分岐側を通ります。特に上り線は 3 回も。
どうしてこんな配線になったのかと思案したのですが、常磐線ができたとき、あるいは東北本線を複線化したとき、といったタイミングで、順番に西側 (上の図では下側、下の写真では左側) に線路を付け足していった関係かなと推測してみました。反対側は駅本屋があって、線路を増設するのは大変そうですし。
Comments
常磐線(海岸線)全通・岩沼ー仙台間複線化・上野-青森間急行運転開始(海岸線経由)と、岩沼-槻木間複線化の間が半世紀以上離れていることを頭に入れて眺めると、普通の配線に見えるのですけど。
戦後も上野-青森直通急行は常磐線経由しかなかった時期がありますし。
Posted by: 砂兎 | Mar 20, 2010 09:42 PM
ええと、「普通の配線」が何を意味するのかが、よく理解できないんですけれど…
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 20, 2010 10:41 PM
東北本線と常磐線が同等の路線だと思えば、複線から単線2線が分岐する駅としてはよくある構造で、半世紀以上後になってから1線を付け足したと見れば、特段不思議な所は無いと思うのですけど。
Posted by: 砂兎 | Mar 21, 2010 01:08 AM
んー、少し論点がずれているような。私が問題にしているのは、先にできた東北本線が分岐側に振られて、後からできた常磐線が直進側なのはなぜか、という話ですから。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 21, 2010 06:46 AM
非電化時代には北海道連絡のような上野-仙台以北の急行列車は急行列車設定当初から常磐線経由の方が主流ですから、常磐線が直進になるような分岐にしただけだと思いますけど。
東北本線複線電化後も昼行は東北、夜行は常磐という役割分担が残りますし、貨物は2軸車は2段リンク化でやっと75km/hになり、ボギー車も最速でも85km/h程度な上に、車扱列車が主流ですから、70km/hの分岐制限があることがさほど問題になるとは思えませんし。
Posted by: 砂兎 | Mar 21, 2010 07:47 AM
分岐制限の話についていえば順番が逆でしょう。70km/h の分岐制限が問題にならないんじゃなくて、分岐制限が問題にならないように 70km/h まで底上げしたんです。
普通なら分岐側の制限速度は 45km/h 程度。それを、岩沼ではわざわざ、確か日本初の 20 番を入れて分岐側の速度を 70km/h に引き上げているのですから、分岐側に振られてしまっている東北本線側の速度制限に、問題があると認識していたのは確かです。
それに、通過速度の引き上げ要求ということなら、夜行や貨物よりも昼行特急の方がシビアでしょう。現に、「ひばり」の所要時間をどうやって切り詰めようかと必死になっていたわけですし。
駅の用地の問題だけでなく、仙台方で (下り列車からみて) 左カーブになっていることから、全体に左に寄せないと東北本線を直進側にするのが難しい、という事情もあったかと思われますが。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 21, 2010 08:19 AM
追加。
常磐線の通過速度を優先するのであれば、東北本線の位置を変えないで、東側に常磐線を増設する方が、その先の曲線を緩やかにできて有利だったのでは。
では、そうしないで東北本線を西側に押し出したのはなぜか、と考えると、そうせざるを得ない理由があったと思うんですけれどねえ。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 21, 2010 09:02 AM
そもそも、東北本線が昼行列車でも主流になったのは複線電化の完了は1968年10月のことで、それまでは「はつかり」が常磐線を走っていたのは周知の事実でしょう。はつかりのDC化直後の時期1960年代初期には東京-青森(北海道)間の列車は全てが常磐線経由で東北本線経由の列車は1本も無い時代もあったのです。
では1968年以降の東北本線の改良はどうしようとしたのかというと、591系を試作したりしましたが、結局は1971年4月に東北新幹線を1977年頃開業の計画で着工したのですから、数年でお役御免になる岩沼駅構内改良を行わなかったことがそれほど不思議なこととは思えません。
また、岩沼駅は岩沼要害を潰して用地を確保していますので、それほど用地に余裕があったとは思えませんし。
Posted by: 砂兎 | Mar 21, 2010 05:22 PM
ん、「ひばり」「みやぎの」「やまびこ」「みちのく」などは無視ですか ?
それに、仙台以北に向けたメインラインが「常磐線 > 東北本線」であれば、常磐線を岩沼まで複線化してボトルネックの軽減を図っていてもおかしくないと思いますけれど。
あと、構内改良をやっていないというのは語弊があって、分岐側に押し出されている東北本線側の通過速度をできるだけ高める目的で 20 番を入れたわけでしょう。これはレッキとした構内改良ですよ。
そもそも、このエントリの発端は「(東側の) 用地がなくて、東北本線が西側に押し出されたのでは ? それに伴うネガを軽減するために 20 番を入れたのでは ?」という話です。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 21, 2010 06:30 PM
ついでだから、話を整理しておきましょうか。
先に東北本線の駅として岩沼ができた後で、明治 30 年に常磐線が延びてきて加わったわけですけれど、その際に「常磐線がメインラインだから、そっちを優先して直進側に配置して東北本線を西側に押し出した」か、「常磐線が接近してくる東側には用地の関係で線路の増設ができず、東北本線を西側に押し出して駅を拡張した」か、が論点だという理解で間違いないですか ?
ただし現実問題として、明治 30 年の時点で直進側・分岐側の速度の違いまで意識していたかというと、私は懐疑的なんですけれど。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 21, 2010 06:51 PM
2方向に分岐する以上はどっちかが必ず分岐側になるのですから、どっちを優先するのかの問題に過ぎず、歴史的経緯から常磐線側が優先されていたことは別におかしいとは思わないと言っているだけのことです。1968年以前に配線を変更すべきというのならば「はつかり」や「十和田」は無視ですか?とも言えます(みちのくは常磐線経由のはずですが)し、それ以降ならば新幹線作ることになったでしょというだけのことです。
もっと言えば、この当時から電化すべきとされていた幹線でもいまだに非電化のままの幹線があるのですから、岩沼駅構内配線の変更がそこまで重要度の高い話でしょうかとも言えます。
それ以上のことは私には興味はないので、私はこれでこの話題からは降ります。
Posted by: 砂兎 | Mar 21, 2010 07:51 PM
議論からは降りますが、とりあえずこのくらいの疑問はあるので書いておきます。
分岐側制限に気を払わないような時代に、曲線半径の数メートルの変化には敏感になるのか。
元々あった東北本線の線路と常磐線の線路を並べ、東北本線仙台方面-常磐線を直進側にして、東北本線岩沼駅方面を右に分岐させているのですが、これを岩沼駅方面を直進にして、常磐線方面を左に分岐させる配線にするのは不可能なのか。配線略図だと左右のスケールが潰れているので難しそうに見えますが、現実の航空写真を見てそれほど難しいようには思えませんけど。
ホーム前後に曲線を入れることになっても、現在の常磐線でも2面3線の3番線を130km/hで通過している列車があることから考えても分岐側にするよりは問題は小さいでしょう。
単線の東北本線と単線の常磐線が岩沼駅で合流して、複線になって仙台に向かう線形で半世紀以上たっており、そこに東北本線の線路を1本追加するに当たって、今の線形が費用と効果を考えた上で、非合理なものなのか。
Posted by: 砂兎 | Mar 22, 2010 07:46 AM
現地でかぶりつきをやって撮ってきた写真を見ると、東北本線の上り線は岩沼の東京方で西側に振られていて、駅舎前のホーム・その隣の中線・その隣のホームと線路を避ける形になってるんですね。一応、冒頭の配線図でも再現してますけれど。
ちなみに、東北本線の下り線は、上り線との間にコンクリートポールの列を隔てた形で西側に平行しているので、上り線があるところに後から張り付け増設したのはほぼ確実。(新幹線の新富士なんかと同じ理屈)
駅舎や貨物施設の位置が変わっていなければ、東北本線の単線しかない時代から、わざわざ西側に振った構造にするとは考えにくい。となると、直線的に入ってきていたものを後から西側に振ったんじゃないかと考えた。そのきっかけとして考えられるのは、後から割り込んできた常磐線の存在という可能性がもっとも高い。
そして、そもそもの発端である「駅施設の存在ゆえに東側への線路増設ができないのでは ?」という話につながる。東端には駅舎と、それに隣接するホームがある。その南側には貨物関連の施設もある。
ということは、既存の東北本線を直進側に維持して常磐線をそこから左に振ろうとした場合、そういった施設が邪魔になる可能性が高い。(今なら貨物関連の施設を潰して線路を振り直すかも知れないけれど)
仙台方で本線を西寄りに付け替えて、駅本屋前の線路を分岐側に変更すれば 1 線分の余裕ができるから、東北本線を直進側、常磐線をそこから左に分岐、とできるだろうけれど、当時、そこまで手間をかける価値があったとは認識されないだろうと。
それで、常磐線を真っ直ぐ入れて東北本線を東京方で西側に振って、西側にホームと線路を増設したのでは、と推測したというのが本題であって、東北本線が分岐側になったのは、その結果の話。それが後になって、通過速度の制限を緩和するために仙台方に 20 番を入れた話につながるわけですけれど。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 22, 2010 09:00 AM
横から失礼します。
今月のピクトリアルが東北本線特集ですね^^;;。
上記の航空写真を見ると、駅の仙台方に曲線緩和を行った形跡があり、かつて駅の東北本線側に線路を振った事がある様子がうかがえます。
また、岩沼駅は仙台藩の出城「岩沼要塞」を崩して作った事が知られていますが、東北本線岩沼以南の複線化の際に、残っていた砦の殆どを崩して、現在の4,5番ホームを作った事も知られています。その名残の土盛りがホームの西側に見られますね。(側線がわざわざ土盛りを避けてる)
これから推測すると、上記の曲線改良は岩沼以北の複線化に際して行われたであろう事、当時の運転上の東北本線と常磐線の分岐は、駅の東京方であったあろうことが推測出来ます。
また、東北本線の東京方の複線化は、単なる線増ではなく、常磐線の線路容量の確保(駅構内に常磐線専用の交換、退避施設を設ける)の目的も合わせ、両線の分岐を駅の仙台方に持ってくる(つまり、駅の西側に東北本線複線分+副本線を増設する必要がある)工事を、かなり強引かつ限られた時間、予算でやった結果ではないかと推測します。
仙台側は既に西側に線路を振ってあった以上、これ以上西側に振る事は出来ず、一旦東側に振り直すのも工費が嵩む上に曲線がキツくなる。結果として前例の乏しい20番分岐の挿入となったのではないかと。しかしこれはコスト、時間的にかなり効果的だったのではないでしょうか。
岩沼以南の複線化は、間に丸森線がそのまま入れるスペースを開けた、かなり特徴的な線形になっていますが、岩沼駅自体も、将来の丸森線の分岐余裕も視野に入れた拡張だったのだろうと推測します。
長文かつまとまりのない文章で失礼。
Posted by: 彩葉 | Mar 22, 2010 10:48 PM
とすると、幹線の分岐駅にしては小さい規模でスタートしていた、という話になりますねえ。
「対向式 2 面 2 線 + 中線」、あるいは国鉄/JR の駅によくある「駅本屋前 1 面 + 島式 1 面 2 線 + 中線」とか。単線の時代には、列車を捌くのが大変だったかも知れません。
どっちにしても、駅本屋に面した線路以外は、どこかで分岐側を通らされそうですが、スピードが求められなければ、それで済んでいたのかも。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 22, 2010 11:34 PM
遅レスで再び失礼
岩沼駅の規模が長年小さかったのは恐らく、砂兎さんの言われる通り、岩沼以北、長町までの複線化が大正期と極めて早かったからではないかと。
運転上の拠点が近くにあったために、岩沼にバッファを設けず、さっさと長町や仙台に逃がせた、ということですね。宮内や三原みたいなものでしょうか。
しかし、平面での複線、単線分岐となると、必ず分岐駅のどこかで交差が生じるので、単線側にバッファとなる待避線が必要になりますね。
あとは言われる通り、駅本屋の反対側に拡張せざるを得ない場面で、高速分岐という新しい手法を導入した、というのが興味深いですね。
Posted by: 彩葉 | Mar 25, 2010 02:01 AM
そういえば、拠点駅ではなくて、それより少し手前で合流/分岐している事例、幾つもありますね。安積永盛なんかもそれでしょうか。
高速分岐器は、単に番数を増やすだけだと間違った方向に割ってしまうリスクもあるとかいう話を聞いたことがあったような。使いこなすにはノウハウが要るとなると、20 番の導入も簡単ではなかったかも知れません。
Posted by: 井上@Kojii.net | Mar 25, 2010 03:43 PM