福岡市の大渇水
以前に Twitter で「電力に加えて水まで足りなくなったら大変」という趣旨のことを書きました。というのも、たまたま 1978 年夏の福岡市で大渇水を経験しているから。ただし住人だったわけではなくて、夏休みの間に訪れただけというところが、ちと説得力を欠くのですが。
昭和 53-54 年福岡市渇水 (Wikipedia)
概要は ↑ に載ってますけれど、とにかく真夏だというのに「水が出る時間」より「水が出ない時間」の方が多くて、少ない「水が出る時間」の間にタンクや桶などにせっせと水を溜め込む羽目に。暑い季節だと、特に水不足って堪えます。衛生面の問題が出やすい時期でもありますし。
Wikipedia には書いてませんけれど、新聞では毎日「ダムの貯水率」がグラフ入りで載って、水道の栓は水の出が悪くなるように「節水コマ」に取り替えさせられて、とかいう調子。このときの名残なのか、未だに家庭に「水をたいせつに」と書かれたステッカーが配られていたりします。
電気が来ないのはしんどいですが、水が止まるのもしんどいですよ。日常生活でも、産業面でも。
Comments
平成6年のときは学会で行きました。
まあ水がでないとされる時間があるだけだ他という話も報道あったかなあ?
なお、訪れた日に市内に(だけ)雨が降り、濡れた路面の所為で事故が等と地元の方が言ってましたが誇張が入っていたのかどうか不明。
(ドームに行く羽目になり、音がよく響いて頭が痛くなった)
Posted by: bugaisha | Jul 02, 2011 10:29 AM
1978 年の大渇水は「よほどの事態」で、普段はそこまで壮烈なことにはならないのですが、いったん痛い目に遭うと「節水コマ」がデフォルトになるのもむべなるかな、であります。
でも、渇水に見舞われなくても普段から節約を心掛けるべき、というのが正論なのでしょうね。電気やガスやガソリンでも同じことですけれど。
Posted by: 井上@Kojii.net | Jul 02, 2011 03:55 PM
電気(エネルギー)でも水道でも同じなんですが、食料とあわせてこれらの十分かつ安定した供給が文明の進歩を支えてきたってことが頭からすっぽ抜けている人が多いんじゃねーのと思う昨今。
歴史に(を)学ぶってこういうことじゃないんでしょうかね。
Posted by: U.K.Name | Jul 04, 2011 04:29 AM
それが「当たり前」だと思っていて、背後にある努力や苦労に思いが至らない (または意図的に無視している) のでしょうね。
先日に「@IT」で節電プログラムの記事を書いたときに、「電力は現代文明を支える血液のようなもので云々」と書いたのも、その辺を改めてつつきだしてみたかったから、だったりします。
Posted by: 井上@Kojii.net | Jul 04, 2011 08:39 AM