秘密区分と公開の手法は別問題
安倍政権 中国漁船衝突事件映像流出は「特定秘密」に値せず 民主政権との違い示す (MSN 産経ニュース)
映像そのものは「特定秘密」に分類するほどのものではない、というところは同意。ただ、当局がオフィシャルに公開していない映像を、職員が勝手に流出させたことは問題。というのが私の見方。
これって別に、矛盾することはないと思うんですよね。「秘密かどうか」ということと「公開の手法・手順が適正か」というのは別問題だから。
ただ、情報保全とか秘密保持とかいう話になると、そこのところを意識しないで、あるいは意図的にゴッチャにして論じる人が出てきそう。特定秘密保護法案をめぐる議論を眺めるときには注意したいポイントかも。
Comments
http://www.kojii.net/opinion/col131028.html
上記記事の記者が記事を書くことまで含めるのなら、当該権利を知る権利として捉えるのは失当ではないでしょうか。
情報を入手するというところを問題とするのなら、知る権利と報道の自由が競合していると考えることも出来ますが、
紙面にすることまでを含めるのであれば、当該権利は取材の自由として捉えるのが妥当だと思われます。
また取材の自由として捉えた場合でも、紙面に起こさなければ保障されないというというのも権利の捉え方として失当です。
記事全体としても、情報公開という原則は国民主権という原理から導かれるものであるという前提を欠いているのではないかと思わざるを得ません。
Posted by: tes | Oct 30, 2013 09:02 PM
うーん、そうでしょうか。まず、情報をとってくる「取材の自由」があって、さらにそれを紙面に書くことで国民の「知る権利」を代弁する、というべきなのでは。
ところが西山事件の場合、紙面に書かなかったのだから「知る権利」の行使は放棄したも同然、さらに情報源を秘匿しなかったのだから「取材の自由」も足を引っ張ってます。
結局、「知る権利」と「取材の自由」の両方に泥をひっかけて足を引っ張っているわけで、そういう事案を「知る権利」の象徴みたいに持ち上げることは、却って「知る権利」の足を引っ張ると思いますよ。
もちろん、不都合な情報を秘匿しようとする側と、それを知る権利があるという側の間で相克があるのは当たり前。そこで、どこに落としどころを持ってくるかについては、固定的な解はないでしょう。ただ、その落としどころを可能な限り「知る権利」側に引っ張ってくる必要はあるわけで、そこで西山事件みたいなことが起きれば、むしろ逆効果でしょう。
その点、ウォーターゲート事件について報じたときに「社屋を切り売りしてでも政府と戦う」と宣言したワシントンポスト紙は、知る権利を行使して筋を通したという点で、立派だったと思いますけれど。
Posted by: 井上@Kojii.net | Oct 31, 2013 07:44 AM
↑訂正。社屋を売ってでも… といったのはペンタゴン・ペーパーズ事件のときの NYT でした。
Posted by: 井上@Kojii.net | Oct 31, 2013 09:04 AM